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能は、何に似ている? Vol.3
能楽とイラン映画 TEXT:新城 健一 2005.01.24

■能楽とイラン映画の余韻

能舞台
終演後の能舞台の様子。開演前と同様に、何もない。そこには、ただ空間があるのみ。
能の演目は、5つのジャンルに分類されます。
神、男、女、狂、鬼。

神のジャンルは、脇能とも呼ばれます。
ここには、神を主人公とし、めでたい内容のものが多く含まれます。

男のジャンルは、修羅能とも呼ばれます。
これは、修羅道へ堕ちた武将の亡霊などが主人公として登場するものです。

女のジャンルは、鬘能とも呼ばれます。
これは、死してなお恋心に苦しむ女の亡霊などが主人公として登場するものです。

狂のジャンルは、雑能とも呼ばれます。
ここには、他のジャンルに含まれない雑多な内容が分類されます。
代表的なものとして、物狂いが主人公となったものや、現在進行形で物語が展開する「現行能」などが分類されます。

鬼のジャンルは、切能とも呼ばれます。
ここには、鬼や天狗などが登場し、音楽的にも早いテンポで派手な展開をするものが多く分類されます。

このように、内容に応じてそれぞれのジャンルに分類される能の演目ですが、観る側にとって共通するポイントがあります。
それが、終演後の余韻ではないでしょうか。

食の観点から世界の文化にアプローチしておられるスパイス&フード研究家の佐藤和佳子さんは、観能の後、「イラン映画の余韻に似ている」とおっしゃっておられました。

■湧き上がる娯楽

演目『井筒』のクライマックス
演目『葵上』の一場面。
愛しい男の心が自分から離れていく。その男の心が寄り添う女を見つめる瞳には、嫉妬の炎が宿る。心の中の炎に苦しむ六条の御息所。
観客は、それぞれの経験や想をめぐらせながら、舞台上の物語を見つめる。あなたは、彼女の姿から、何を想いますか?
(撮影:森田拾史郎)
解り易さと迫力によって圧倒的なシェアを誇るハリウッド映画。
その物語の作り方は、「エモーショナル・ジェットコースター」とも言われる手法を用いています。
次から次へと、溢れんばかりの情報を投げつけ、投げかけ、浴びせていくことで、まるでジェットコースターに乗せているかのように、観客の心を翻弄します。

これは、スピードとダイナミズムという押し寄せる圧力を楽しむ娯楽と言えるでしょう。

一方、能は、観客に対して、そういった情報を浴びせ掛けるようなことはありません。
観客の側が、舞台から情報を引き出し、自分の中で咀嚼し、味わうことを楽しむ娯楽です。
ジェットコースターと言うよりも、散歩に近しいものかもしれません。ゆっくりと、目に映るものを味わいながら、歩いていく。

それは、自分の心の中から湧き上がる圧力を楽しむ娯楽と言えるのではないでしょうか。

押し寄せる圧力の娯楽には、その最後に「すっきりしたー!」という爆発するようなカタルシスで解放されることに心地よさがあります。
湧き上がる圧力の娯楽には、その最後に「うーん……」と唸りながらその世界を堪能し、耽溺することに心地よさがあります

能は、後者のような楽しみ方と心地よさを感ずることのできる芸能であり、まさに、この余韻が、イラン映画に似たものなのかもしれません。

ハリウッド映画よりもイラン映画をお好みの方、能をご覧になってはいかがでしょうか?


▼関連情報はこちら

イランへの扉 映画』(外部リンク)

イラン映画(ウィキペディア)』(外部リンク)

NPO法人せんすがイラン、カタール、オマーン、イエメンで能楽海外公演(プレスリリース)

▼前回の記事はこちら

アーティスト・クリエイターの観能初体験Vol.1 『能を観た画家の目線』(記事)

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