トップ

>能について

能を観に行こう

能の歴史

能の演目・物語

能面・装束

能楽師

能楽堂・公演スケジュール

能を体験したい習いたい

イベント・薪能 

本・テレビ・動画サイト

関連サイト

団体・協会

バックナンバー

問い合わせ

アーティスト・クリエイターの観能初体験 Vol.1
能を観た画家の目線 TEXT:新城 健一 2004.12.30

このシリーズは、様々なアーティストが、能を初めて観たときに抱いた感想をインタビューし、それぞれの能の楽しみ方を探るものです。

第一回目は、画家、アーティストの福津宣人さん。

【観能演目データ】
 演目:葛城 大和舞(かづらき やまとまい)
 シテ:金春流シテ方能楽師 高橋 汎
 会場:国立能楽堂
 日付:2004.12.01

■外国の物の方が刺激があると思っていた

Modern Style In East Asia 2004 北京東京芸術工程、北京
『Modern Style In East Asia 2004』
北京東京芸術工程 北京
「アートは『考え方』だと思う」
36歳の福津さんは、経済成長期の日本において同時代の人々がそうであるように、流入してきた海外の文化に触れて生活してきました。そうした生活の中、「西洋のアートは先端的で魅力的だ」という考え方を抱いていたそうです。
「かつての僕は、現代のアートと日本の伝統文化を結びつける術を知らなかった。だから、そうした日本の文化に興味を持てなかった」と言います。

しかし、自身の作品を見つめるとき、そこに日本人的なセンスが色濃く反映していることに気づいたと言います。

「伝統的なものを学んできたわけではないが、自分の作品の構図や描き方、シンプルな状態で止めておく感覚などが、日本的だと感ずる」と福津さん。
今の年齢になって、ようやく、自分の持っている「日本的な感覚」を楽しめるようになったそうです。

アートの本質は、その作り手の育った風土の影響を色濃く受けたもの。時代に応じた表現を用いることで表面的な変化はするものの、その本質は変わらずにあるのだろう」と福津さんは言います。
「たとえば、それは、きめの細やかさ、ディテールに対する緻密な配慮、様々なものの分配の仕方、気の行き渡り方。そして、日本は、その細やかさが、圧倒的だ。織物にしても、絵にしても、その緻密さは、西よりも東の方が強い」
そうした感覚的な部分の共通性があるからこそ、その風土で生まれた文化は、その風土で育った者の生活にフィットするのかもしれません。

「一方、ニューヨークもパリもロンドンも東京も、都市生活という人工的な環境によって作り出される情報に、大きな差はない」
都市型の生活スタイルや、テレビやインターネットなどのメディアによる情報の流通に、その国の風土の違いはあまり反映されていないのかもしれません。しかし、それを得る人の側、良し悪し、好き嫌いを判断する基準には、その風土に育った独自性というものがあるのでしょう。
「そう。現代の都市生活をしていながら、それでも拭い去れない独特な日本人的感覚ってなんだろう、って思いますね」


■能における日本的な要素

BAMBI
『BAMBI 2238 0824 2004』(福津宣人)
福津さんは、能のに、とりわけ「日本」を感じたそうです。
他の国の面と比較して、細部にまで気の行き届いた作り、細やかな配慮に基づいた、無駄のなさを感じたと言います。

また、能楽師の動きにも注目しています。
「まったく無駄のない最短距離で動きながらも、次の動きが始まるまでの、長い『間』の存在。これは、他の国では、なかなか見られないんじゃないかな。無駄を殺ぎ落とした、要素の少ない中での、ミニマルな中で完結した美しさを感じた

さらに、演者である能楽師が自己主張をしない、ということにも興味を覚えたと言います。

静寂の中、観客の心を集める舞台上の能楽師。しかし、そこで注目されているのは、能楽師ではなく、能楽師が演じている人物そのもの。神であり、亡霊なのです。
「人間としての能楽師が出ないように、自身を出さないようにしている、という印象を受けた」と言います。
「だからこそ漂う、神妙な空気感。そこに見えているものが人間ではないような印象。自然的なものが表現されているように思えた。言ってみれば、プリミティブな空間を感ずる芸能だ。森の中にいる、というか、そういう空気感を、神というものの登場によって表わしているようにも思えた」

細やかな感覚に根ざして作られた面や装束など、精度の高い道具によって、とても自然的なものを表現している芸能である。そうした、精度の高いものに支えられているからこそ、数百年経っても芸能としての精度が落ちない。もし、そうした道具が粗いものだったら、また違った芸能になっていたかもしれない。そう語る福津さんは、芸能を支える工藝の持つ力を感じたようでした。

こうしたプリミティブな空気感によって、能舞台で繰り広げられる世界に、とても大きな広がりを感じた、と言います。
「スターウォーズじゃないけど、スペイシーだよね。宇宙的というか。とても広い。これは、京都に行ったときにも感じる。昔の人はスペイシーだったんだろうな、って」
能と京都を「スペイシー」という言葉で結び付けながら、福津さんは、さらに続けました。
「京都のある寺に、山までの一本道の参道があって、そこを歩いていると、とても大きな空間を感ずる。東京で生活していると、空を見つけるのも難しいくらい閉塞感を感ずる。能を観ているとき、僕は京都の寺を歩いているときのような、とても大きな広がりを感じた
三間四方の閉ざされた能舞台に、京都の参道から空へとつながるほどの、宇宙的な広がりを感じた、と言うのです。
それは、無限のイマジネーションを沸き立たせてくれる空間に共通する、脳内の広がりなのかもしれません。


次のページでは、さらに画家としての能への興味を語っていただきました

Copyright(c) 2004 NPO Sense All rights reserved.